今日6月18日は「海外移住の日」です。
本格的な海外移住の第一陣158家族、781人を乗せた、第一回ブラジル移民船笠戸丸が1908年6月18日にブラジルのサントス港に到着したことにちなみ、1966年に総理府(現内閣府)により「海外移住の日」と定められました。
現在では日本と移住先国との友好関係を促進するための記念日とされています。
ちなみにブラジルでは「日本人移民の日」として記念行事が行われています。
日本人移民の歴史
移民とは、異なる言語や異なる文化の国へ移り住むことです。
日本人の海外移住は、すでに150年以上の歴史があり、1866年に海外渡航禁止令(鎖国令)が解かれ、王政復古(1868年)とともに始まりました。
ハワイにおけるサトウキビ・プランテーションでの就労に始まって、アメリカ合衆国、カナダといった北米への移住、そしてその後1899年にはペルー、1908年にはブラジルへと日本人が渡ります。
日本最初の集団での海外移民は、1868年(明治元)に40人余がグアム島、153人がハワイ、1869年(明治2年)に40人余りがカリフォルニアに渡航したのがはじまりです。
後に「元年者」と呼ばれるようになるこの最初のハワイへの移民は、主にサトウキビ耕地の労働者として、横浜駐在のハワイ領事ヴァン・リードが日本人の口入屋を使って京浜地区で集めた人たちでした。
職人が中心でしたが、農民や武士も含まれていました。
移民による日本人人口の急激な増加は白人の人種的恐怖心を煽り、日露戦争の頃までに、組織的な日本人排斥運動を引き起こすに至りました。
その後、排日運動は議会を巻き込む政治運動へと発展し、1924年には合衆国が日本人移民入国を禁止し、その4年後にはカナダへの日本人入国が極度に制限されるようになりました。
北米が日本人移民を拒絶するようになると、世界のほかの国々や地域が日本人を受け入れるようになりました。その中でも、特にブラジルが日本人移民労働者の主要な渡航先になりました。
1908年、日本政府がアメリカ、カナダとの紳士協定に基づき、両国への移民労働者に対する旅券発給を自粛するようになると、最初のブラジル行移民一群が日本を発ちました。
笠戸丸(かさとまる、かさどまる)
笠戸丸は、明治時代後期の日露戦争から第二次世界大戦にかけて移民船や漁業工船などに使われた日本の鋼製貨客船です。
前身はロシア義勇艦隊(ロシア帝国で設立された国営の船舶輸送機関)の「カザン」という名の船でした。。
明治時代後期から昭和初期にかけて、外国航路や台湾航路用の船舶として用いられ、ハワイやブラジルへ移民が開始された時に移民船として使われました。
その後漁業工船に改造され、漁業会社を転々とした後、最後は貨客船として最初に籍を置いた国であるロシア帝国の事実上の後継国にあたるソ連軍の手によって、第二次世界大戦終結直前にカムチャツカ沖で爆沈されるといった数奇な運命をたどりました。
いまや、「かさと」丸、それは船名であって、船名ではありません。
ブラジルに移り住んだ日本人、その日本人から生まれた日系人にとって「かさと」丸はシンボルなのです。
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