
1914年(大正3年)のこの日、パリで開かれたオリンピック委員会で、5色(左から青・黄・黒・緑・赤)のオリンピック大会旗が制定されました。
オリンピックマーク(五輪マーク)は、単色または五色の輪を世界の頭文字「W」に重ねて連結した形で、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸と、その相互の結合と連帯を意味していますが、どの色が特定の大陸を指すわけではありません。
近代オリンピック創立者のピエール・ド・クーベルタンが、古代オリンピックの開催地の一つであるデルフォイの祭壇にあった争いの続いた隣国との休戦協定を刻んだ「五輪の紋章」に着想を得て作成したと言われています。
現在、古代デルポイの遺跡はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

クーベルタンは、歴史書のオリュンピアの祭典の記述に感銘を受け、オリンピック復興の構想を世界に向けて唱えました。
その構想は世界各国の賛同を得ることになり、1896年、第1回大会が、古代オリンピックの開催地であるギリシャのアテネで実現しました。
その近代オリンピックは、古代ギリシャで行われていた4年に1度のオリンピア祭典競技(古代オリンピック)の復活を目指したものでした。
また、このシンボルを通じて、スポーツが国際間の架け橋となり、友情、平和、相互理解を促進する力を持つというビジョンを表現したかったのです。
彼は、異なる文化、言語、宗教を持つ人々がスポーツを通じて一つになる機会を創出しようと考えていました。
それ故、クーベルタンの目指したのは、競技のみならず、文化的、教育的側面を含むオリンピズムの全体的な理念の推進でした。
そして、オリンピックが単なるスポーツの祭典であるだけでなく、世界各国の人々が互いを尊重し、理解し合う場であるべきだと考えていました。
このように、五輪マークに込められたこのビジョンは、今日のオリンピックの根底に流れる基本的な価値観となっていると同時に、スポーツを超えた社会的、文化的価値を象徴する重要なシンボルとなりました。
古代オリンピックは紀元前9世紀ごろから始まったとされていますが、ギリシャを中心にしたヘレニズム文化圏の宗教行事であり、たとえ戦争中であっても一時休戦して参加しなければならないものでした。
そういった観点からみると、現代のオリンピックの目的である「世界平和」と共通するものがあります。
アメリカ合衆国のフラッグデー
ちなみに、この日は1777年に「星条旗」を正式にアメリカ合衆国の国旗と定めた日でもあります。
アメリカが独立宣言を行った頃の旗にはイギリスの国旗が入っていましたが、独立戦争で戦った相手の国の国旗が旗に入っていては国民の士気に影響するということで、初代大統領ジョージ・ワシントンらが、星条旗を完成させました。第28代大統領トーマス・ウッドロウ・ウィルソンが、1916年にこの日を国民の祝日としました。
星条旗にある横の縞は、独立した当時の州の数「13」に因んでいます。そして星の数もそれにより13個でした。
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